日美地域
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美袋地域
1 美袋駅
大正14年、伯備線開通時に開業し、平成26年に有形文化財に指定された。駅舎の中には総社吉備路商工会昭和支所の事務所があり、外にはギョイコウが植えられている。木造平屋の駅舎で木の壁や屋根などは1925年に建てられた当時の姿がそのままの形で残っている。
2 美袋八幡神社
1521〜1528年の間に建てられたと言われているが定かではない。1808年には美袋の大火で類焼してしまい、縁起物などがすべて焼失してしまったが1830年に再建された。
現在、境内にはラカンマキが植えられている。
3 美袋本陣跡
江戸時代、大名の宿場町として栄えた本陣は、そこで会談などが行われた。明治維新から戦後までは役場として、現在はJA晴れの国岡山昭和支店の事務所や店舗などに使われている。JAの隣にある標柱は、当時のままの形で残っている。
4 栄福寺
真言宗国分寺の末寺。経済難により1873年に寺の中の台所部分を校舎にして、寺子屋を営んでいた。後の日美―昭和小学校の前身の場所でもある。お寺の中には大正の頃に“鼻ぐり塚”が建てられ、周辺では牛供養が行われていた。
他にも!
広畑遺跡…昭和中学校の敷地内にある遺跡。鉄器や魚網の重りのほか、役所の角柱、集落の円柱なども確認されており、当時の生活がうかがえる。
5 板口富美子
大正4年に総社市美袋に生まれ、東京女高師(現:お茶の水女子大学)で和歌を専攻、その後教師と和歌の道へ進んだ。維新・昭和小学校、昭和中学校、昭和町町歌を作詞。美袋の秋葉谷国道筋には歌碑が設置されている。
6 板口富美子の歌碑と記念碑
記念碑には戦前の文化が書かれているとされているが、不鮮明で読むことはできない。歌碑と記念碑が立つ場所の岩は“獅子岩”と呼ばれており、ちょうど獅子がうずくまっている姿に見えたことからその名前がついたとされる。
日羽地域
7 作原椋の古木
昭和32年に南の枝が倒れて目通りが空洞になるまでは、周囲9.5mもある、郡中第一の巨木と紹介されている。現在は全体的に小さくなってしまったが、樹齢が約600〜700年とされており昭和41年4月15日付で昭和町が天然記念物に指定した。
8 ミヅチ神社
ミヅチ神社と呼ばれていた神社の跡地に国司神社が建てられている。ミヅチ神社はミヅチの霊を祀る社で、古宮という場所にあった。ミヅチ神社と呼ばれるようになった由来は、「日本書紀」にいう高梁川のミヅチの伝承と言われている。高梁川は暴れ川と呼ばれており、当時の人は高梁川を神格化させミヅチに見立てていた。
9 ケンギョウ田遺跡
岡山県下でも数少ない山間の縄文遺跡で、荘園時代の荘官だった検校(年貢を納めるための代官)の給田であったことが由来とされている。この遺跡からは、木の実、鏃、おもし、手斧、土器など様々な種類の埋葬品が出土している。
10 安楽寺跡
1256年に建立。当時は宝福寺の隠居寺として創建され、薬師如来が祀られている。明治時代以降は檀家が数軒ほどになり急速に荒廃、無住職となってしまった。明治13〜23年頃には日羽小学校、日美小学校、日羽支校の校舎として利用されていた。
11 松山往来
本町の中央部を西北から東南に流れる高梁川の北岸沿いに通じる松山往来は、明治以降一般に高梁往来と呼ばれ、さらに明治9年道路規則の発令により、県道岡山−新見線となった。山陽−山陰を結ぶ主要道路として、交通量の増加に伴いしばしば改修工事が行われた。
12 日羽大塚古墳
日羽にある古墳群の中で最も大きな円墳。中の石室は開かれており、自由に出入りすることができる。
今日まで盗掘をまぬがれたこの古墳からは土器、鉄の直刀など多くの副葬品が出土しており、それらは現在倉敷にある埋蔵文化センターで保管されている。